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主一人3
中国北京旅行記 19−2−22〜25
ツアーに参加して中国北京へ行ってきました。
19年2月22〜25日の3泊4日の旅です。
万里の長城に登ったよ〜。
私は戦前当時の華北交通に勤務して済南に1年坊子に3年そして軍隊に入って約2年通算6年中国大陸にいたのです。
当時のことは華北交通時代
軍隊時代に書いてますのでよろしかったらご覧下さい。
北京には25年前同じようにツアーに参加して行ってきたのです。
その後、青島・済南、シルクロード、そして今回で中国は戦後4回訪れたことになります。
中国は青春時代を過ごした地なので何回訪問しても懐かしく私にとっては故郷のようです。
今回は日頃お友達してくれているお嬢さんに誘われてそのお姉さんと3人で行ってきました。
初日の2月22日
家を出たのが9:00 京都駅から関空へ
関空は予定より2時間半遅れて16:40フライト 北京空港19:40着3時間かかってました。
出国手続きはたいへんです。みなそのお嬢さんがやってくれました。
夕食は四川料理 私には少し辛口でした。ホテルは1人部屋 落ち着きホッとしました。
2日目の2月23日 ホテル出発8:00(以降中国時間)
まず故宮博物館へ 広大な敷地です。
博物館に王座がありました。私達もその座を借りて記念撮影をしました。
そのほかに色んなものが展示してありました。そしてそれを作る職人さんの実演もありました。
磨き上げた水晶玉の中にもう一つ水晶玉があってそれに絵が描いてありました。
見てたらそこの小さな穴から細い筆を入れて描くのです。名人芸ですね。魅せられて一つ求めました。
有名な書道家の先生が透かし模様の入った和紙(中国では何と言うのか)に達筆をふるっていました。
これもつられて2枚求めました。いいおみやげになりました。お土産になりました。
そのほか陶器の壺に彫刻する職人。細い銅線で絵を描いてる職人。筆で繊細な色つけしてる職人
刺繍では、一本の絹糸をほぐして90本に分けその1本が蜘蛛の糸のような細さにして花の絵を刺繍していました。しかも裏表全く同じ絵柄にです。
それらの名人芸にはただただ驚きでした。
天安門広場です。この広場には100万人人が集まれるそうです。広大な敷地です。
左右に衛兵が直立不動で立哨vしていました。また交替のための衛兵の行進も見ました。昔軍隊にいた頃の姿勢をかいま見たおもいです。
万里の長城です。ごらんのように勿論登りました。
中国は今春陽節と言って日本から見れば旧正月なのです。長期休業と言うことで中国各地からの観光客がどこへ行ってもあふれています。
ここ万里の長城も 城壁いっぱいの観光客です。
京劇を鑑賞してきました。
入り口を楽屋にして俳優達がメークしていました。
舞台では甲高くて賑やかな中国楽器の伴奏で、俳優達の立ち回りが見ものでした。
京劇は日本歌舞伎のようにドラマが主体ではなくどちらかと言えば曲芸的敵ですね。
宙返りや大きなとんぼ返りも頻繁だし、槍を投げやったり、メイクもすごいです。
今夜の食事は名物 北京ダックです。もの前で調理していました。
巷では夜の屋台を見学しました。内容は殆どが揚げ物だから煙がたちこめてにおいも強い。
大きなヒトデ(海星)の唐揚げや、サソリの黒焼きもありました。ホントに食べるのですね。
3日目の2月24日 ホテル出発8:00(中国時間)
今日は自由行動だったのですが、地理不案内なのでツアーの企画に参加しました。
行ったのが天壇です。
ここも広い敷地。市民が集まって思い思いに楽しんでいました。
次に行ったのが 王府井 ここは北京唯一の繁華街です。
東京の銀座並みときいていたのですが、道路幅が広いせいもあってかそんなに雑踏感は見られませんでした。
いよいよ胡同です
ここは北京の下町風情を残していると言われます。私はここを訪れたかったのです。
古い煉瓦土塀に囲まれた家々、狭い道路 路地です。
観光客を案内するための人力車(自転車)がたむろしていました。
なかでも裕福な家の前には自家用車がありました。ここにも格差でしょうか・・・
近くの池の畔では、男の人が胡弓を楽しんでいました。風情のあるいい音色です。
街角の広告塔?に昔の写真家ポスターが貼り付けられてありました。
その中に「李香蘭」のような写真があったのでどきっとしながらよく見たら・・・残念でした。
建築ラッシュ 来年北京オリンピックがあることから、その会場や施設の建設が盛んでした。
並んで高層マンションの建設も盛んでした。市の中心部は勿論、古い町並みが次々と取り払われていずれは近代都市の風貌になってゆくのでしょうね。
最終日の2月25日 ホテル出発6:00(中国時間)
朝はまだ暗いしもやが立ちこめて視界は不良でした。そしてさすが寒かった。
この旅行期間気温は京都並みでした。聞けば北京も50年ぶりの温暖気候だそうです。
無事北京国際空港を飛び立って帰国の途につきました。
飛行機の窓から遠くを見ると、青い空白い雲がくっきりわかれていて水平線のように見えました。
雲海を突き抜けて日本の陸地が見えたときは初日に北京へ着いたときとは異なるホッと感を味わいました。
関空から京都までの車窓の風景はたった4日間離れただけなのにやはり懐かしいものがありました。
京都駅でお嬢さん達と別れました。
4日間何から何まで面倒見て貰いました。石段の上がり降りなどは殆ど介添えして貰うし、主入国の手続きなどはどうしていいのか完全にお手上げ、
パスポートも預けっぱなしにしてやって貰いました。これでは外国への一人旅は悔しいけれど不可能を知りました。
ありがとう
その彼女近く結婚するのです。でも相手の彼氏快くこの旅行を納得してくれたこと感謝です。
まだ紹介して貰っていないのでよく知らないのですが度量の大きい爽やかな青年だと思います。
きっと幸せな結婚生活を送ることでしょう。こころからそう願います。
これで私の今回の中国旅行記を終わります。
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