みたり・きいたり 『主一人』  T   

主一人 書き込み帳

次をそれぞれクリックして頂くと各内容をご覧頂けます。 

はじめに・目次一覧 ・ T 見たり聞いたり ・ U 旅行記 中国 ・ V 旅行記 シルクロード 
 W 体験 ・ X 恋物語 ・ Y 出会い ・ Z 時事刻々 ・ \ 童謡50曲国  


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    龍谷大学紫光館  別棟新築工事  14−11  

      龍谷大学は現在、先に取得したみやこ信用金庫本店を、紫光館として使用していますが、
      今回その東隣にほぼ同じ大きさの別館建築に取りかかっています。 
      南側の住民にとっては、その景観や風向き、威圧感等環境の悪化を招くため建築の中止を望みたいところです。
      が違法がない限り無理は承知しています。

       そこで、少なくとも工事中の迷惑を排除するべく交渉をしていますが、
      大学並びに建設業者側の対応は必ずしも万全とは言えないようです。
      当初建築にかかる直前に大学側は建設業者を伴って説明はしました。
      しかし工事中の迷惑には、騒音や振動(地響きがします)粉塵(砂埃)・悪臭・騒音、
      耐え難いいろいろの問題が発生しています。

      それに対して苦情を何回も言っているのですが、だいぶたってからようやく、
      ただ「申し訳ない」と形式的な言葉だけが返ってきて、具体的な対応が全くないのが現状です。

      龍谷大学と言えば同じ地域の仲間だと思っていただけに、そして西松建設は一流の業者であるはずなのに残念です。

      写真左は現況 右は築後の想像図です。このように南側からは何も見えないどころか威圧感圧迫感が生涯続くのです。

   


      近隣住民からは 「このまま泣き寝入りは  したくないっ !」 の声が大きくなっています。

      また住民側においても対応の拙さが見えます。
       直接被害者の声、個々の問題を十分に取り上げないままに、グローバルな感覚で進めたことです。
      直接被害を受けない者も、傍観するのではなく、同じ住民仲間としてその苦痛を
      少しでも和らげるために応援したいと思います。

      龍谷大学は平素「地域に親しむことを望んでいる」 と聞きます。ならば、もっと話し合うべきです。



     龍谷大学のビアパーティ  14−6      

      6月 日午後5時30分〜8時、龍谷大学の紫光館で
     同生協主催のビアパーティが催されました。

     チラシには町内の皆様として
     ・ 紫光館は地域との交流の 拠点です。
     ・ 日頃お世話になっている地域の方に感謝を込めて学生・先生・職員の交流を・・・
     と有りました。

     メニューは生ビールは勿論、チューハイ・カクテル・ドリンク・唐揚げ・イカ焼き
     ・たこ焼き・焼きそばなど。
     子ども向けに綿菓子・ヨーヨーつり・輪投げなど。
     私も覗いてきました。

     場所は、紫光館(旧みやこ信金)の建物の北側の植え込みあたりいっぱいにくり拡げられていました。
     地域の方々らしい顔ぶれが多く見られました。西浦町の方々の姿も沢山見えました。
     ゲームを楽しむ子ども達の姿も大勢見受けられました。
     ちょっとしたお祭り風景です。

     良い企画だと思いました。
     が一説には、パフォーマンスだとの見方もあります。
      龍谷大学では今、この紫光館の東側に新しい研究棟の建設を計画し、
     そのことを近隣の方々に説明し理解を求めようとしています。
     だからこのこともその一環として、単なる思いつきの企画に過ぎない だろうとするもです。

      私はそうは思いたくない。
     これをパフォーマンスに終わらせないで、これからも同じ地域にある大学として、
     また地域に住む大勢の学生共ども地域に溶け込み開かれた存在になってくれることを望みたい。

 熟年パワーを住民自治の 運営に活かして欲しい   12-4

   定年退職された方々(元サラリーマン)の多くは、
   家族の生活を維持するため一生懸命働いたんだから
   「ご苦労さまでした」って 言葉を受け、
   いままでやれなかった趣味を活かしてこれからの人生を楽しもう、と思っている。
   一人で楽しむ趣味。グループで楽しむ趣味。いっぱいあって、
   定年後の人生はまさにバラ色…。 それもよい

   が、それだけで何か物足りない、もっと人の役に立つことをしたい。
   と考える人も多い。 

   あるのです。ボランティア活動です。
   報酬を貰わないで他人のために役立つボランティア。

   しかもその場は身近にあります。 自分の住んでいる町 地域社会に です。
   私達の町には、自分達でよりよい環境を築くために自治会活動があります。
   自治会活動の担い手の多くは、地域のことに関わる暇のないサラリーマンに代わって
   家庭の主婦です。

   職域社会を離れた元サラリーマンにとって、これからの活躍の場として地域はその参加を
   待っています。  みんな仲間なんです。

   先ず隣近所の方々との挨拶から始めて親しんで下さい。すぐにうちとけます。

   藤森中学校の生徒達ゴミ拾いしながら登校     

      13年5月発行 「にしうら」262号掲載

     4月21日(土)、小学児童の交通誘導をしているとき、いつも横断歩道を渡ってくる藤森中学校の生徒達、
     ゴミ拾いしながら登校今日は手に手にスーパーの袋のようなものを持って歩いている。
     見ると中にはゴミが入っていた。

     早速学校へ行って教頭先生に聞きました。
     『藤森中学校の創立記念日にあわせて、日頃お世話になっている地域の方々に少しでも
     お礼がしたいと、環境美化ボランティアを企画し、その一環として当日登下校の際ゴミを拾うこ
     とを実行した 今後も機会を捉えてやってゆきたい。』 

     企画も立派。それにも増して、一〇〇〇名余りの生徒達が、小雨の降る中、
     傘を片手に学校カバンを肩にかけ、
     ゴミを拾って歩く、格好悪いと思うのにそれも厭わず、素直に受け入れて実行したこと
     に感心しました。

     学級崩壊とか、生徒の非行とかが取りざたされている世相にあって、立派だと思いました。



 在宅介護を考える   12-4

   来年4月から介護保険法が実施されますが、その見直し論も出てきて、論争が続いています。

   その中で私は在宅介護者に対する支援が打ち出されたことに注目したいと思います。
   この介護保険法が制定されたときから、私が寝たきりだった妻(要介護者)の在宅介護体験から、
   介護者に対する配慮が無いことに不満を持っていました。

   養護施設など擁護体制(外部サービス)が完備していない現状では、在宅介護はまだまだ減りません。

   要介護者にとって、わがままかも知れ無いけれど
   「介護は家族にして欲しい、そして最後は家庭で…」
   は真の願いです。
   家族にとっても
   「家で世話・介護したい」
   もまた同じです。

   「子が親の世話をするのはわが国の美風だ」
   とする見方があります。
   しかし第三者から言われると、褒め言葉として素直に受けとめられるよりも、
   「美風だからやりなさい」立場によっては押しつけに聞こえます。

   私が妻の在宅介護を選んだのは、施設に預ければ交流が疎遠になることを恐れたからです。
   在宅介護は家族にとっては24時間体制です。心身の休まる時間の制限とともに、
   収入減による経済的負担が強いられます。

   新法による在宅支援では、外部サービスの利用を促しています。
   ただしそれも一定時間の利用しかできません。
   これでは介護家族の心身の休まる時間がどれだけ確保出来るか疑問に思います。

   加えて経済的負担の支援は全く考慮していません。
   見直し案では、慰労金の名目で年間10万円を介護者に支給すると言う。
   経済支援ではなく お涙金で我慢しなさい です。

   家族の労働を、外部サービスに比べてその何%かを算定して保険金から支払うべきだと思います。
   保険が、いざと言うとき利用出来なければ意味が無いですよ。

   在宅介護に陽を当てたい。ご意見を下さい。


 「にしうら」新聞のことについて述べます

  西浦町に住民が増えだした昭和44年、互いの連帯をもつための町内自治会を作り、
  それを纏めるための自治会連合会が組織されました。

  昭和46年その情報をみんなに伝えるために誕生したのがこの「にしうら」です。
  当初は、不定期だった発行を昭和53年から毎月1回となって、
  今回252号を数えるようになりました。

  内容は、西浦町自治連の運営記事を中心に、
  他出来事や児童館の子ども達のようすなどを掲載しています。
  これが編集と発行については、定期的発行の時点から当時自治連会長であった私が
  編集長となって、他有志数名が関わっています。
  記事の無いときは四苦八苦。今月はまさにその通りです。

  経費は、毎号4万余円年間40余万円は自治連会計では負担出来ません。
  そこで、地域企業の方々に広告料(1回3000円)を頂いて賄っています。
  満額ですと3000円×16面=48000円になるのですが、
  平均収入は14面=42000円です

  印刷費と写真などの編集費に消え、赤字寸前。やりくりが大変です。発行部数2500部。
  それでも続けるのは、担当者一同の誇りと心意気だと理解して下さい。
 
  年に1回、正月号の名刺交換掲載料の集計は、
  印刷編集の実費を除いて自治連の本会計に繰り入れています。
  会計は独立採算制ですから決算報告はしません。

  市販の新聞は、配布に費用がかかっています。
  この新聞は、西浦町の機関誌的性格をもってに発行しているので、
  自治会を通じて配布して貰っているので助かっています。

  これらのことから「にしうら」は、自治連事業の一部として位置づけられていますので、
  住民の皆さん方のご理解とご協力を、これからもよろしくお願い致します。

  5月28日は亡き妻の誕生日です。私の留守中「西浦町の一住人」のお名前で、
  お庭で丹精されたお花が今年もポストに入れてありました。
  ご厚情感謝致します。


集 団 登 校

  今年も新一年生を交えた子ども達は元気で集団登校しています。

  毎朝8時過ぎから30分程、師団街道と中山稲荷線の交差点で、
  西浦町から砂川小学校への集団登校の児童を、立ちん棒して見ています。

  子ども達は毎朝8時頃に町内の公園などに集まり、10名程を単位にしたそれぞれの班は
  全員が揃った頃を見計らって6年生の班長を先頭に副班長は後ろから、決まったコースを登校します。

  遅れてくる友達を待っている班長、ほっといて出発する班長。
  ほっとかれたので後を走って追っかける子ども、のんびり一人で歩いている子ども。

  班長の後ろをきちんと歩く子ども、前へ行ったり後ろへ行ったりふざけながら走り回っている子ども。
  時には喧嘩をして泣く子ども。
  集団から離れて一人二人単独で登校する子どもの姿もあります。

  「おはよう」    「おはよう・おはようございます」
  「今 何時」    「8時18分」
  たまに休むと
  「昨日 見んかった」   「さぼったん」
  日頃何気ないようでも気にしてくれているのかな。

 
  一人で遅れて来た子ども
  「どうしたん」    「ちょっと頭が痛かったん」
  「そうか 元気だして まだ間に合うから 気いつけて」   「うん」
  これでみんな横断歩道を渡って無事に登校して行った。
  私、立ちん棒を始めてから26年目になります。
 
  その間ずいぶん多くの子ども達と友達になれました。その子ども達が中・高生になっても、
  社会人になってからでも、途中で出会ったら挨拶して呉れます。
  また、これが日課になったことは、私の健康の源の一つなんです。
  出来る限り続けようと思います。



集団登校 横断歩道を渡る子ども達 





自治連結成 30年  

  昭和44年4月、西浦町に自治会連合会が作られて今年で30年が経った。

  西浦町は、それ以外から移り住んだ住民の寄り集まりだから振興住宅地として、
  周辺を取り巻く旧地域住民からは異端視された。

  私達は、振興住宅地の住民として有りがちなバラバラを防ぐため、
  各学区自治連とは別に独自の自治連を組織した。
  幸いに西浦町は新旧住民の入り交じりがなく、全くの白紙から出発できた。

  始めの10年は、道路舗装・空き地の草刈・下水側溝の完備等について環境の整備に務め
  「住みよい町づくり」を目指した。

  次の10年は、住民の連帯感を高めるため、盆踊りから発した夏まつり・子どもまつり・餅つき大会等、
  親睦行事を企画して「明るい町づくり」を図った。
  所が暴力団による暴力事件が発生した。しかし、いち早くこれが排除に立ち上がれたのも、
  住民の連帯が効をそうしたものと云える。

  ここ10年は、それらが定着して「ふるさと西浦町」の姿が見えてきた。
  「住みよい明るい町づくり」の達成には終わりはない。そこに住民が居る限り続く。
  そして住民自らで務めなければならない。

  西浦町の様相は当初からみると変わりつつある。ここ10年はワンルームマンションが増え、
  学生が多く住むようになった。その学生は地域に関心がない。

  加えて、近頃新しく住民になった多くも又自治会に入らない、そして子どもが居なくなったからと云う。
  集団生活は人間の特性であり本能なのに、最も身近な町内自治会という集団社会を嫌うのは何故だろう。
  各町内の世帯は増えているが、自治会加盟人数は減ってきている。

  住民自治の連帯が縮小するといろんな方面に障害が出てくるのに…。
  学生も含めて新しくよそから移住してきた人達を、どうやって誘ってゆくかが今後の課題となる。
  仲間は一人でも多い方がよい。






  「にしうら」旅行同好会に参加して来ました。

   平成11年2月21・22日、お天気に恵まれた2日間、
   「にしうら」旅行同好会は総勢20名でしたが、
   岡山廻りで瀬戸大橋、鳴門大橋、明石大橋を巡ってきました。

   一日目、倉敷の美観地区では白壁の家など昔ながらのたたずまいや民芸品のお店などを
   たっぷり見学しました。
   ホテルのベランダから、夕陽を背景にした瀬戸大橋の眺めは最高でした。

   炭坑節には女性総出の盆踊りまで飛び出す盛況ぶり。
   カメラうろうろピントお粗末どうにか一枚  

   二日目、瀬戸大橋を渡り、讃岐の金比羅さんでは、本宮まで 786の石段。
   旅行に参加した70才超えの3人は揃って挑戦しました。

   山の中を走っているとき、田畑や屋根の上の積雪を見ました。
   鳴門大橋の上からは僅かでしたが渦潮も見えました。
   明石大橋を背景にサービスエリアで記念撮影。

   楽しい楽しい2日間でした。 この旅行の費用は 2万円ポッキリです。


明石大橋を背に一同 
宴会場での盆踊り 
金比羅さんの石段登った 

   2万円ポッキリ企画の内訳を紹介しましょう。

   旅行社への支払は交通費・2食付きの宿泊費・昼食2回の@19,200です。
   残@800×20名分16,000あれば、
   チップ払って13,000で車内のおやつとジュースが賄えると計算したのですが… 
   ビールを入れたので約20,000。

   宴会の食事は酒叉はビール一本付き、カラオケセットはサービスして貰いました。
   宴たけなわとなると、勿論付いている酒叉はビール一本では足りません。
   追加追加で約30,000。流れは別会場のカラオケスナック。
   ここではアルコールとカラオケセットで@3,000、アルコール抜きの差は500、
   計約50,000。

   これではいくらなんでも2万円ポッキリではどうにもならない。
   メンバー全員での負担を図りました。

   西浦町は女性をかばい優しくするのが特質。と云って全く負担をかけないではかえって失礼になる。
   最低限の千円をお願いして残りは男性で分担しました。

   旅行参加費@20,000×20名  =400,000
   寄 付 金(有り難う)         = 30,000
   分担金男性@6,000×7名    = 42,000
         男性@2,000×2名   = 4,000
         女性@1,000×11名  =11,000
   収  入   計            =487,000

   支払の内訳
   旅行社  @19,200×20名    =384,000
   乗務員 心付け             =  3,000
   車内ビール・ジュース・おやつ      = 約20,000
   宴会追加 酒・ビール・ジュース     = 約30,000
   カラオケスナック17名参加       = 約50,000

   それであの盛り上がりが出来たのは参加者一同の理解と協力のおかげです。

   段取りや交渉会計は中塚さん(2丁目)、それを助けて晋山さん(7丁目)、
   私は最初の企画と挨拶させて貰った気楽な役。感謝します。

 
   それはそうと、近頃旅行社の案内は、以前ならば2〜3万円だったのに、
   今はほとんどが2万円までの企画。
   どうしてそんなに安く出来るのでしょうね。次にとり上げて見ましょうか。






  「老人力」という言葉がはやっている

  私はこれを、老人のパワーを発揮することだと思っていたらそうではなく、
  老化現象の特徴のように見られている「老人ボケ」を逆手に採って開き直ろうというものらしい。

  私は、老人パワーを活かすことに目を向けたい。
  老人とは、何才からを指すのかは知らないけれど、私自身は老人だとは思っていないが、
  一般的には既にその領域にあるようだ。
  それはそれとして、私も今までの体験を活かして少しでも、世の中、
  後世の人々のプラスになればと、でしゃばりの汚名を覚悟で毎日を送っている。

   76才の宇宙飛行士、ジョン・グレンさんが来日され、数々の言葉を残された。
  「準備訓練では、若い人達と同じメニュウーを積極的にこなした」
  「いつも前向きに、考え・行動をしている」
  「毎朝の柔軟体操、一日3qの早歩きを心がけているる。」
  「もう一度行きたいけれども、妻が心配するので」
   年齢を感じさせない言動は、老人パワー以前のもの、見習いたい。

   私今75才。ここらで年齢ストップしよう。
  何故なら、先に逝った妻は、いまの私を覚えている。
  何年か経ってあの世で再会したときに
  「あなた だーれ ?」
  って相手にされなかったら寂しいから。

  「主夫」してます を一冊の本にしました。
   「主夫」を始めから読みたいと言う数多くの方々の声に励まされ、
  妻の一周忌の供養に、昨年の暮れに自費出版しました。
   ご希望の方は、2月末までに、自治会長さんに申し出て下さい。
  直接お越し頂いてもお渡しします。   無料です。


加齢ますます

   敬老の日、朝日新聞に「96才でインターネット 海外ともEメール交換」の記事を見た。
   伏見区砂川学区に住んでおられる「本荘圭一さん」
   私とは目と鼻の先のお住まい、承諾を得て早速訪問した。

   聞けば 95才でパソコンを覚えられたそうです。 動機は?
   「好奇心」

   今では、アメリカに住む子供さんと、Eメールのやりとりをされている。
   「国際電話よりうんと安上がりですよ」簡単におっしゃっている。

   定年退職されたあと、かねて取得した英語通訳ガイドの資格を活かして、その仕事を20年。
   10年前に奥さんを亡くされてから、子供さんから誘いもあるけれど、一人住まいを続けている。

   ガイドは歩くのが仕事。歩きは健康の源。練達した英語の駆使に加えてパソコンは頭脳の鍛錬。
   身の回り一切を自分で処理する一人生活は自律に役立つ。どれをとっても元気の源。

   私なんか足元にも及ばない。と考えるよりファイトが湧いてきた。あと20年がんばろう って。

   さる9月27日、京都府自動車学校であった、伏見警察署主催の高齢者自動車運転教室に参加した。

   体験者談をシナリオにした事故のビデオ、シュミレーション運転の体験、そしてお話し。
   慣れているとはいえ一つ一つがよい教えになりました。

   運転実習では、参加者30名全員が伴乗された指導員からお墨付きを貰った。
   高齢者は、自分では勿論大丈夫だと思っている。しかしとっさの動作は確かに鈍ってくるのは当たり前。

   自覚して確実な運転を心がけたいと思う。   加齢ますます    実感





楽しかった西浦町夏まつり

   西浦町の最大イベント夏まつりは、今年も大勢の方々の参加を得て賑わっていました。
   模擬店。はた目には毎年同じだから慣れたものだと見られますが、
   担当した13自治会の方々毎年持ち回りなんです。

   しかもはじめて夏まつりを経験した人にとっては、大勢のお客さんに圧倒されて、
   何がなんだかの初日。2日目にようやく要領を覚えたという。
   準備段取りも大変です。

   でもこの模擬店、作業を通じおしゃべりを通じ地域の中での近親感がぐっとたかまる一時でもあるのです。
   何時も定番の3丁目。何と、焼きそばにうどん・お好み焼き、
   晩ご飯代わりにもってこいのメニューは大人気。役員総掛かりで仕込みをしてました。

   ここも定番の有名専門店会。ビール・たっぷりの烏賊焼き、日頃のごひいきに報いたいと、大サービス。
   裏方は家族ぐるみでした。

   今年は和歌山の事件が有っただけに、調理関係は、部外者が入らないように神経ピリピリさせて…。

   舞台では、うずらの里児童館職員が企画した子どもファッションショーやゲームに子ども達はくぎ付け。
   西浦町にこんなに沢山の子ども達が居たんです。

   2日目、龍谷大学吹奏楽部の演奏は圧巻でした。何処からともなく集まったヤングは、
   バンドの目と鼻の先まで詰めていました。この一部は後ほどの盆おどりにも参加していました。

   盆おどりは、先ほどのヤングも交えて、砂川・深草両学区から女性会の方々の参加もあって
   時間ぎりぎりの10時まで賑わいました。

   このように住民の殆どが楽しんでいる西浦町夏まつりに、中止を求める匿名の投書があったことは
   悲しいことです。狭い殻に閉じ込もらないで人々の中に入って、
   おおらかな気持ちで、西浦町全体の和を考えて欲しいと思います。






   今 子ども達が危ない !! 

   5丁目の佐々木さんから電話を頂きました。

   『去る6月30日、深草小学校3年生の息子が、下校途中、
   通りすがりの男からいきらり顔を殴られ
   家に帰ったらばんばんに腫れ上がっていた。
   一緒に居た女の人が
   「この人病気だから堪忍してな」
   と去って行ったとか。
   何でうちの子がこんなことされんならねやろ

   実は2年前の1年生の時にも下校途中外人から嫌なことをされた。
   その時はすぐに警察と学校に連絡したが、いずれも今一つの対応だったので、
   自分でパトロールをしてその外人を見つけ出し、
   謝らせて2度とやらないことを約束させた。

  
   今回も警察と学校に知らせて対応を求めたが、
   納得出来なかったので、また自分でパトロールをした。

   今度の犯人は知的障害者らしい20才前後の男と言うことは分かっていても
   それを捜し出せたとしても、状況判断では特定出来ないという。

   子どもを守るのは最終的には親の務めだということはよく承知している。
   しかし個人では限界のあることも知った。どうしたらよいのだろう

   警察は捜査は約束し、学校側も充分注意することを約束した。
   こんなことが2度起こらないためにも事実を知って欲しい。』と

   悔しそうでした。

   先日の防犯懇談会でこの問題について警察に問い合わせたところ
   −実態の把握が難しく、今も捜査を続けていがる犯人の特定は出来ていない。

   日々、親は精いっぱい子どもを守る努力をしています。
   それをカバーするのが警察や学校の務め、また地域の応援だと思います。
   今、子ども達を取り巻く環境には不安定要素が多すぎます。
   親は自分の子どもを守るのは当然ながら、私達は、
   地域住民一人として自分に子どもが居ても居なくても、
   地域の子ども達の動きや環境に、もっと関心を持つべきではないでしょうか。

 
   子ども達への犯罪を未然に防ぐ大きな手だてになると思います。
   「地域の子どもはみんなの子ども」なのですから






還暦過ぎて運転免許に合格した女性 

  還暦過ぎ、昔風ならば孫のお守しているだけのおばあちゃんを想像する。
   そう 昔風に云わなくても、彼女は孫にとっては実に優しいおばあちゃん。

   それが何と、この度、普通車の運転免許に挑戦して見事 手にいれた。
   2丁目、日本サラミ食品(株)副社長 松岡洋子さん(61才)がその人。

   もっとも、30数年前に一度取得して10年ほど乗っていたが、その後仕事に追
   われて更新するのを忘れて20年あまり。
   この程、今はやりの四輪駆動RV車、大きな車体に大きなタイヤ。これで日
   本一周出来たら楽しいだろう、と考えたのが再挑戦の動悸とか。

 
   入学した伏見区竹田久保町西、京都府自動車学校でも、還暦過ぎた女性は例
   が無いそうだ。
   20数年前乗っていたのだから、すぐとれるだろうと思っていたのに、いざハ
   ンドルを握ってみるとバックや巾寄せの操作に意外と手こずった。

   そして厳しい指導。
   「何でこんなにしてまで」幾度か途中で断念しようと思うことも。
   でも、自動車学校の指導員や事務所の方々に励まされ、周囲からの応援、
   それに半分は意地も手伝って続けた。

   終わり頃には、完全に感覚を取り戻し、路上教習も難なくこなし全てパス。
   
   今免許証をもらった。

   「厳しい指導と励ましがなければ挫折していたかも…自分を褒めてあげたい 
   の言葉を実感した。正直 少し疲れた。やはり年かな」 とも。

   とうとう 四駆で日本一周の切符を手にいれた。 
   年齢にこだわらず前向きに進む女性の姿に感動。


   5月24日(日)    妻泰子の遺骨を東大谷のお墓に納めました。

   帰宅したら 西浦町の一住民(匿名)の方から 花束が郵便ポストに入れて
   ありました。

   優しいお気持ちを有り難く感謝致します。



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