Tomoちゃんは13年11月 インターネットが縁で知りあったお嬢さんです。
私にとっては娘家族に次いで心を癒してもらえる友達です。
週に2回ほどメールを交換してその量は今ではA4版用紙に100ページを超えました。、
また月に一回は会っています。いつまでも続けたいと思っています。 Tomoちゃんよろしくね!
鴨川おどり 観賞 C |
シャッター厳禁なので パンフレットからスキャンしました。
15年5月23日 京都5花街の一つ 先斗町歌舞練場で「鴨川おどり」を観賞しました。
切符が手にはいるからとTomoちゃんが誘ってくれました。
午後4時15分に飛び込んだら幕を開けた所でした。幸い指定席だったので足元を照らされての着席です。
花道の直ぐ横 よく見える場所でした。
舞台は「蝶の夢」 Tomoちゃん曰く翻訳劇だそうです。
原作は能の「邯鄲」=かんたん から。さらに中国唐代の書「枕中記」からと言います。
邯鄲とは中国河北省南部の都市 戦国時代の趙の都としてさかえたところ。
また 邯鄲とはコロギの仲間で15oくらいのその鳴き声は幽玄に夢見るように聞こえるそうです。
あらすじ
都での出世を目指した若者が とある宿場で見た夢は
城の主になり美女と祝言をあげ、幸せの絶頂にあるとき 裏切りにあって滅ぼされる
目が覚めて夢であることを知った若者は、人生の儚さを悟り故郷に戻る と言う。
おおぜいの舞妓さんや芸妓さんがあでやかに舞う姿を間近に初めてみました。
優艶というか華麗というか、浮き世とはかけ離れた世界をかいま見た思いです。
毎日仕事と勉強にあけくれ、なかなか遊ぶ暇のない毎日を送っているTomoちゃんです。
この日も4時に終わるはずの仕事が未だ残っていたのですが、途中抜け出しての一時です。
観賞の終わった後木屋町を散策してレストランで久しぶりに食事をながら互いの近況を話し合いました。
昨年10月、下宿を引き上げてマンション生活。自分だけの部屋に落ち着いてから
11月に入手したパソコンを生活の一部にして、勉強に仕事にとフル活用。
この4月からはシステムアドの資格を目指して本格的に取り組みだした。
いずれは私を超えるテクニックを身につけて呉れるだろう。頼もしい。
だからと言うか、私とデートする機会が少なくなったような気がして少し寂しい。
でも、今年3月19日の私の誕生日にはプレゼントを用意して一緒に食事もして祝ってくれた。
また、4月の10日には、白川沿いの哲学の道の散策・鴨川堤のドライブと花見に付き合ってくれた。
仕事と結婚 どちらかと言えば 仕事の方にウエイトを置いているようだ。
だからか結婚・結婚と言われるのを余り好まない様子。
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最近知人から紹介された男性にも余り関心をもっていないようだ。
実はその男性、鴨川おどり観賞に同じく男性の友達と来ていた。偶然にも二つ前の席。
合流するつもりだったのかと思ったが、Tomoちゃんは全くの偶然 行きずりの感覚。
彼女のお友達の中に、キャリアOL を辞めてまで臨床心理士の国家試験を目指すと言う。
ここにも結婚より仕事が優先しているらしい。インテリ女性の傾向なのかと思う。
仕事と勉強のあいまに、都合をつけて付き合ってくれてるTomoちゃん。ありがとう。
ピュアに誠実にいつまでも続けたい。
哲学の道散策の途中
奈良へドライブした帰り道 B |
鹿シカ・大仏・めし
14年4月からTOMOちゃんの生活環境が変わりました。
学生時代を含めて一人住まいをしていたんですが、このほど
小学校2年生の男の子の家庭教師をかねることを条件に下宿することにしたのです。
朝には小鳥のさえずりで目を覚ますほどの静かな佇まいの環境です。
4月29日 その男の子ヒロ君を伴って奈良へドライブしました。
ヒロ君が中心の奈良観光になったので、テーマは 鹿シカ・大仏・めし にしました。
道々それを唱えながら、はじめはシカを怖がっていたヒロ君、いつのまにか手ずからせんべいをあげていました。
さすが大きな大仏さん。私にとって40年ぶりです。
ヒロ君はおみやげ屋さんの前。パパとママ、おばあちゃん、そして赤ちゃんにと、おみやげ選びです。
あれやこれやと手にとって30分あまりかかって買ってました。子どもながらに至極慎重。
1時半です。すっかりおなかをすかしたので食事の美味しかったこと。
3時 帰途につきました。TOMOちゃんのうとうとが見えたので私も休みたくなりました。
走っていたのは京奈高速道路、たまたま料金所の横に広場があったので車を止めて
「ちょっと休まして 眠くなったし」 ところが
「子どもの体調があるので早く帰りたいです。私が運転しますので休んでてください」
「えっ この車運転したことないのに・・・?」
「大丈夫です。この道直線でしょう 任せてください」
いつかはこの車(ハイエース ワゴン)の運転を覚えたら、交代できるのでロングドライブにも誘える。
かねてからそのつもりはありました。でも今こんな形で・・・? 迷いました。
一般道路に入って混んできたら交代したらいいか それまで任せてみるのも経験。
幸い通行車両もまばらだし。度胸を決めて譲りました。
彼女は 乗り込むなり座席位置の調整、スイッチやレバーの点検を終えると発車しました。
私は眠気もふっとんで緊張しました。。
高速道路も終点。一般道路にはいるので交代しようとしたんですが、彼女はそのまま。
2車線の国道1号線はさすが混んでます。もう交代する機会はありません。
少しでも混雑をはなれようと途中から伏見区へ誘導しました。そして川端通りを四条三条と北上。
京都市内中心部を抜けて、左京区の自分の下宿の玄関先まで来てしまいました。その間1時間あまり。
彼女は車を止めてけろっとしていますが、私はその間緊張のしっぱなし。
勿論、眠気も吹っ飛んでお目目ぱっちり。
「これからロングドライブしても 私いつでもハンドル交代できますヨ」
驚きました。大胆不敵というか積極的というか、かわいいお嬢さんの風貌なのに、見た目と大違い。
でも嬉しかった。ロングドライブに付き合ってくれると言うのですから、楽しみが一つ増えました。
6時に帰宅。昼寝をしていないのでさすがに疲れていたのでそのままベッドに倒れ込みました。
7時過ぎ電話に起こされました。プラトニックラブのすみちゃんからです。
今日のこと話したら
「よかったわね でもうらやましいー」 でした。
言わない方がよかったのかなとも思いました。
私にとってはどちらも大切な女性(ひと)です。
インターネットのお友達 A |
私の誕生日祝いにロングスカーフをプレゼントされた
3月19日が私の誕生日です。当日、インターネットで知りあったお友達TOMOちゃんがお食事をセットしてくれました。
その時のプレゼントがロングスカーフなんです。
私は出かける時いつもスクエアのネッカチーフ(小判)をまいているので、包みを差し出され時、
それか ハンカチかしら と思って開けてみたら、柔らかい色のネッカチーフなので嬉しかった。
ところが取り出してみて驚いたのは、オレンジとグレーのツートンのロングです。これは初めてす。
何というかいささか戸惑いました。
それを見て彼女はつと立ち上がり私の後ろに回るや首に巻き付けて
「かっこいいー! かわいいー!」 を連発しては喜んでるんです。
照れますよー。 鏡がないんですから どんな様子かわかりませんし。お任せでした。
別れるとき「こんど お会いするときは必ず持ってきてね」 と。
4月7日は 彼女とその友達と3人でドライブ約束の日です。
午前10時、先日のビックリプレゼントのロングスカーフのスタイルで彼女を迎えに行きました。
それを見て またまた「かわいい!」の連発です。
この「かわいい!」って表現。いくらなんでも私に対しての言葉としては抵抗があったので、そのことを言うと、
同行の女性景子さんに
「内田さんって “かわいい!” って言葉 お気にいらないみたいー」
「この“かわいい!” って言葉は “すてきー!”とか“かっこいいー” と言うことと同じ意味なんですよ、
若い人らには流行っているの」 と景子さんの解説。
そうなのかと 納得しました。
だって私の感覚では “かわいい!”とは愛くるしいと言う表現だと思っていたので・・・・、
若い女性の感性につきあえるのは楽しいものです。
このスタイル、少し恥ずかしかったのですが、彼女たちは
「とっても よく似合いますよー」 って言ってくれたので、
勇気を出して、その日昼食の予約をしてくれてた琵琶湖畔のレストランに向かいました。
自炊が毎日の私にとって、美女二人を前にしてのフランス料理の味は格別でした。
勘定について、私が全額持つつもりだったんですが、割り勘にさせられました。その方が長くつきあえるからって。
今日は小雨です。目の前をボート(エイト)が数艘流れるように漕ぎ去りました。
対岸の山や建物もまたおぼろに見えます。風情がありました。
食事のあとは、残りの桜を眺めながら湖岸を近江八幡までドライブしました。この頃から雨も止んだよう。快調です。
近江八幡は近江商人発祥の地であり、豊臣秀次の築いた城下町でもあるのです。
今でも残る古い町並みを訪ねる観光客に交じって 私たちも歩きました。
帰り道 菜の花がいっぱい咲いている土手を見つけました。ここでも美女二人をモデルにシャッターを切りました。
今日はここまで。次回は 奥琵琶湖ドライブを約束して別れました。午後6時でした。
私たち、インターネットが縁で知りあった友達なんです。インターネットって楽しいものです。
私の趣味は、パソコン・ドライブ・おしゃれ の3つです。
今日は おしゃれして 美女二人を乗せてドライブを楽しみ、
家では、このことをパソコンを通じてホームページにアップする。 醍醐味の満喫です。
追 記
このロングスカーフを、シニアのネットコーナーであるスローネットに紹介したところ好評でした。
そして巻き方も教えてもらいました。披露します。
町内企画の歩こう会にインターネットで知りあったお嬢さんが参加しました。
なぜ西浦町に興味を持ったのでしょうか。
西浦町の様子は、地域情報紙「にしうら」のほか、インターネットを通じてホームページに掲載しています。
たまたまこのホームページを見た彼女は、それに書かれている地域活動の豊かさと温もりに触れたかったそうです。
現在 実家を離れてワンルームマンションに暮らす学生・若者の殆どは地域と無縁の生活を送っている。
それで良しとする人たちの中のも、彼女のように地域の温もりを求める人がいることを知りました。
今私たちの町西浦には、龍谷大学が隣接していることもあって、大勢の学生がすんでいます。
その中には地域の人々と交流したいと思う若者もいるのではないかと思います。
その彼らをどうしたら地域のなかにとけ込ませることが出来るのでしょうか。
これは課題です。考えてみます。
歩こう会が終わった後彼女を誘って食事をしながら約3時間おしゃべりしました。
西浦町の実態を通じて地域社会のあり方や、お互いの生活環境、結婚観。
話が民主主義や男女平等の問題に及んだ時、
この思想は日本人が自発的に創り出したものではなく、戦後(56年前)アメリカの占領政策として与えられたものだ。
だから歴史はまだ新しい。ことを私は説明した、
彼女は、生まれたときから存在するこの思想、特別にという感覚はなく当たり前と思っていた。
大きな差でした。
ほかにもいろんな話をしましたが、互いに通じ理解できました。
私の感性もまだ衰えてはいないことを実感して 安心しました。
一つ理解できなかったのは、歩こう会にハイヒール。
若い女性のファッション感覚なのかなーと思いました。
後日 「あんなに歩くとは思っていなかったもので… 別に歩こう会をナメた訳ではないの」 って。素直。
来年2月の町内もちつき大会の話をしたら、
「おもちつき したーい」
でした。誘いました。
新しいお友達が出来ました。
京都:花灯路が催されていた3月15日、 「ゆめみる夢」が企画した 舞妓さんを観賞する会がありました。
早速訪れて 舞妓さんの舞を観賞し おしゃべりをし 一緒に写真を撮って貰いました。
舞妓さんは お座敷は勿論ですが、よその都市で京都のイベントがあるときはこの姿で出張することもあるそうです。
京都と言えば舞妓さん 顔ですよね。親善使節ですよ。
舞を観賞しました。一緒に写真を撮って貰いました。
そのあと京都:花灯路のコース散策しました。
この日は前日までの寒さは少し和らぎ、おおぜいの観光客で賑わっていました。
観光客のみなさん 舞妓さんの登場とあって一斉に集まってきました。
その注目を浴びながらのツーショットの写真 最高の気分でした。
「ゆめみる夢」は 舞妓さんや芸妓変身できるハウスなんです。
舞妓さんには若い女性は勿論 年齢に関係なく憧れが多いです。
私もその一人です。これからも 機会があれば訪れたいと思います。
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